あるいは尊敬語や謙譲語のような対人関係に応じた言語表現の
豊富さで知られています。
日本はまさに言葉の豊かさが文化の豊かさを支えてきました。
こうした言葉が失われることで大切な文化が失われる懸念もあります。
「文化は言語の産物である」とデュマの名言が残されています。
今の日本では、日本人の日本語力の低下が指摘されています。
ここ何人かの総理大臣の言葉がものすごく軽くなったり
漢字の読み違いで日本語として成り立っていないというのは・・・!?
それだけ日本語が劣化してきている証のような気がしてしようがありません。
そうした中での企業を中心とした英語の公用語化の動きが進んでいるようですね。
英語が喋られるようになると
世界が広がったりして素敵なことでしょうね
企業としては経常利益の60%以上が海外であげているから
コミュニケーション手段の英語というのは必要なのかもしれませんが?
このこと自体が悪いとは思いませんが
大切なのはスキルとして英語をペラペラ喋れるというのではなくて
日本人としての軸があって、日本の文化や伝統に対して深い理解をしている
人の方が人を惹きつけているのも事実です。
日本人の土台として日本語でしっかりモノを考えたり、
伝えることを疎かにしないでほしいですね。
バベルの塔という旧約聖書の
創世記、第11章に記されているお話しがあります。
かつて人間は
皆一つの同じ言葉を使い同じように話していた時代がありました。
人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。
こうした技術の進歩は人間を傲慢にしていった。
天まで届く塔のある町を建てて、有名になろうとしたのである。
神は、人間の高慢な企てを知り、心配し、怒った。
神は下ってきて、人間が建てた塔のあるこの町を見て言った。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているからこのようなことを
しはじめたのだ。
これでは、彼らが何を企てても妨げられない。ただちに彼らの言葉を混乱させ、
互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
そして人間の言葉を混乱(バラル)させた。
この神の決断によって、人々は同じ言葉で話せず、相互に意思疎通を図ることが
できなくなってしまった。
言語による人々の統制も不可能になった。
その結果、人類は全地に散っていかざるを得なくなった。
今日、世界中に多様な言葉が存在するのは
バベル(混乱)の塔を建てようとした人間の傲慢を
神が裁いた結果なのである。という
バベルの塔の話しは、コミュニケーションの大切さを教訓としている部分と
言語が一つだと思想も支配してしまう恐れがでてくるかもしれないという
教訓があるのかもしれませんね。
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