占領軍の政策と竹島問題

竹島問題を年表で見ていくと。

(1946年)9月
敗戦の翌年に日本の周囲に形成された 「マッカーサー・ライン」 では
竹島は日本の領土に含まれていなかった。


このラインは、当初旧日本軍の軍管区を参考にして作られた制限漁獲水域である。
60年を経過した只今の混乱は、
当初マッカーサー・ラインを設置したGHQの考えに遠因がある。


歴史的にも竹島の日本帰属が正当である事を証明出来る資料は、
当時も充分に揃っていた。
日本政府が筋道を立てて米国へ申し立てを行った。

(1949年)
竹島は改訂マッカーサー・ラインの内側に入り、日本領土に戻った。

(1948年)2月
米国は、ハワイにいた反日運動家老人李承晩を連れ戻し、初代韓国大統領とした。

竹島の日本復帰に不満な李承晩(当時73才)は、1952年1月18日に
海洋主権宣言を行い、マッカーサー・ラインの日本海側に変更を加え、
竹島を含む形で自国に都合の良い「平和線」(日本名:李承晩ライン)を設置した。


日本には未だ占領軍がおり、朝鮮戦争(1950.6−1953.7)の戦闘が38度線で膠着していた頃である。


(1951年)9月
サンフランシスコ講和条約(1951(昭和26)年9月8日調印)においては
竹島が韓国の帰属になっていないと言う訳で、安心していました。

また、国際法違反の李ライン設置に不満はあっても、
占領下の日本は事実上どうする事も出来なかった。

マッカーサー・ラインは、講和条約発効寸前の1952年4月25日に
廃止された。(1952年4月28日発効)

李ラインは、設定後から米国、英国、中華民国により国際法違反と批判されたが、
反日の権化李承晩老人は動じなかった。

水産資源を確保するために、
日本が敗戦で「何も言えない」 「何も出来ない」のをいいことに
勝手に日本の領土を横取りしたのは韓国の方です。

国際法違反と批判されてもまったく知らん顔のままというかあたかも日本が
韓国の領土を侵したかのように怒りまくっている姿をみるのは?

(1953年)1月
恐れを知らぬ李大統領は、1月18日李ライン内の日本漁船拿捕を命令、
それにより2月13日「第一大邦丸事件」が起きる。

同船(57トン)の瀬戸重次郎漁労長(34才)が韓国漁船により射殺されたのだ。
折しも、第1次日韓国交回復交渉が話題とされた頃であった。

当然、日本国民の対韓感情は極めて悪化した。
更に韓国政府は、追い討ちを掛けて竹島(独島)の領有を宣言する。

ここから、事実上の竹島問題が発生した。
(日本では、海上警備隊が海上保安庁に改組された。)

(1953年)7月
海保は巡視船を竹島に送り、島根県標識を設置するが、
その時も韓国側から発砲を受けた。標識は、まもなく韓国側により破棄される。

(1954年)
韓国警備隊が竹島を不法に占拠して以来、この状態が続いている。

(1956年)
国連加盟が出来たので国際司法裁判所で決着を付ける事を提案、また不法占拠に
対して口頭でクレームを付けて来たが、韓国政府に無視されるだけであった。


国際法上日本の領土のはずなのに李ラインを越えたと言って不法に拉致され、
漁船・漁具を奪うという海賊行為を国家あげておこない続けています。


不法に拉致され、漁船・漁具を奪われた抑留漁民は3929人
拿捕漁船数は328隻。 死傷者も44人
 抑留漁民は、13年間も海藻で命を繋ぐ等、塗炭の苦行を強いられた。

また、これらの抑留漁民を解放してもらうために、
在日朝鮮人犯罪者472人を解放し、在留特別許可を与えている。
その内容を知ると、憤怒の感情が沸き上がる。

自国の領海で漁をしていた日本人を拉致したり、強奪・・・
北朝鮮の拉致問題とどこが違うのと言いたいくらい、韓国のやりたい放題に
日本政府はあくまでも外交重視で弱腰のままです。

何故、日本はこんなに情けない国になったのか・・・


米国の占領政策としての3R、5D、3S政策が
日本国と日本国民を弱体化させてしまったということです。

3R政策@復讐(Revenge)で、アメリカ軍は日本への復讐が第一でした。
A改組(Reform)で、日本の従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。
B復活(Revive)で、改革したうえで復活、独立させてやるということです。

5D政策
@武装解除(Disarmament)、
A軍国主義の排除(Demilitalization)、
B工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍国主義を支えた
産業力を打ち壊すというもの。(軍需産業はアメリカのみとする。)
C中心勢力の解体(Decentralization)で、行政的に内務省を潰し、
警察も国家警察も地方警察とに分解する。
財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する財閥解体です。
D民主化(Democratization)で、日本の歴史的・民族的な思想や教育
を排除してアメリカ的に民主化する。

そのためにはまず日本帝国憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、
新憲法を制定してこれを象徴にする。

皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す、国旗の掲揚
は禁止する。

教育勅語も廃止する。これにはかなり抵抗がありましたけれども、
GHQのひとにらみで駄目になってしまった。

マッカーサーは、占領政策を施行された時に、日本人は堂々と振る舞うと
思ったのですが、案に相違して、我も我もとGHQ参りを始めました。

表向きの人々はGHQ様々で唯々諾々として「命これを奉ずる」という有様でした。

そこへゆくと、同じ敗戦国でもドイツ人は違っていました。
占領軍が命令しても悪いことは堂々と拒否する。

日本人は直立して「イエス・サー」と言うからイエスマンといわれました。
占領軍は、だから初めは日本人を可愛がり、ドイツ人を憎みましたが、

しばらくすると、「日本人はつまらぬ、骨がない」と軽蔑し、
逆にドイツ人は「しっかりしとる」と褒めるようになったのです。

今日の日本の堕落、荒廃、意気地のなさ、こういう有様はこのように
戦後60年以上かけて作りあげられました。

尖閣諸島や沖縄・・・。竹島や対馬・・・が不法に領土化されても
抗議行動されても60数年かけて占領軍に従順にされてきたから
弱腰外交を笑顔でするだけなんでしょうね。

韓国民間人が対馬で抗議行動=竹島問題めぐり−長崎 【 時事通信 】



現在は、占領軍がアメリカから中国、韓国へ変わっただけなのかもしれません。
中国、韓国相手ですから多少は反抗しますが
最後には、渋々「イエス・サー」というんでしょうね。


日本人を「快楽を求めて怠惰無気力な烏合の衆に没落させる。」弱体化計画が
占領軍によっておこなわれていたとしたら・・・!?

そして、その効果が現れているとしたら・・・!




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